どんどん身軽になっていく解放感
週末は譲渡ラッシュでした。
メルカリとジモティーで大量の本やおもちゃがお嫁にいきました。
部屋がまたスッキリしました。
「捨てる」というのを最終手段にして、まずはモノの嫁ぎ先を探すのは、それを必要としてくれる誰かに届けたいから。
部屋が片付く上に、誰かが喜んでくれるならこんなにうれしいことはないですね。
今週中にセカンドライフへ160サイズの寄付ボックスを発送するので、それが済むと開放感はひとしおでしょう。
モノを手放して起きたこと
ショッピングモールへ行っても欲しいものが無くなった。
たまに「買おうかな」と思うものが現れても、「本当に必要か」に焦点をあてられるようになり、購入も最小限に。
安さよりも質を選べるようになってきている。
冷蔵庫、冷凍庫、野菜、乾物などの内容を把握しているため、献立を考えるのがスムーズになった。
ストックの重複買いも無くなり、一定量に保たれている。
「手放す・残す」の決断もさることながら、物事の判断をすぐに出来るようになった。
郵便物や幼稚園のプリントもその場で処理することで、ため込まなくなった。
使った瞬間に掃除、気づいたらすぐやる、がモットーになった。
これが一番の恩恵かも!
頭の中のごちゃごちゃお喋りがなくなり、過去にも未来にも煩わされることが無くなった。
たまに過去のことが頭をよぎっても、そこに感情が伴わないので、通り過ぎるだけ。
過去、現在、未来の区別は、
ー アルベルトアインシュタイン
どんなに言い張っても、単なる幻想である。
先延ばしの癖から解放
「過去」や「未来」は概念に過ぎず、常に「今」しかない、という考えが最近メジャーになりつつあります。
それなら、「今」をスキップしようとしたところで、いつもそこにあるのは「今」。
部屋に乱雑に積んであるものは「スキップしようとした『今』」なのです。
「とりあえず」は便利な言葉ですが、思考停止の危険があります。
今すぐ判断する癖をつけましょう!
判断の基準はいつも「今」の自分。
過去の自分でも、未来の自分でもありません。
その基準がずれるとモノを捨てるのが難しくなり、「とりあえず取っとく」という魔のルートに逸れます。
このルートはなかなか厄介でして、放っておくと無限ループになります。
例えば目の前にそこそこ良いお値段で買った鞄があるとします。
デザインは気に入っていたけれど、重いし、使い勝手が悪く、普段使いには向かない。
でも、でも、ちょっといいレストランに行くときには使うかも・・・。
未来の私はきっと使いこなしてくれる!
その日は恐らく来ません・・・・。
しかもそういうものに限って地味に収納スペースをとったりします。
「今の私には必要ない」と区切りをつけ、今日手放しましょう。
(スケジュール的にアクションを起こすのが難しい場合は、「期限付きBOX」に入れ、フリマサイトなどで一定期間売れない or 引き取り手が特に無い場合は寄付や廃棄、リサイクルショップなど行き先を設定しておきましょう)。
いつやるか? 今でしょ!
ー 林修
ありのままの自分を受け入れられるようになった
「そのままでいいんですか? 周りを見てください。置いて行かれますよ!」
「このまま行くと大変なことになりますよ」
「もっと素敵なあなたのために」
「選ばれた人にだけ」
世の中には、自尊心、劣等感を刺激する広告で溢れています。
けれど、それらを手にしたところで心が満たされる事はなく、次なる消費へと駆り立てられていくだけなのです。
癒されない渇きのように、「このままではいけない」と謎の焦りがありました。
今のままの自分を肯定することは現状維持を是認しているようで、「=停滞」を意味している気がしていました。
いつも誰かと競争して、自分を否定して、人を羨んだり見下したり、誰のために生きているのか分からない状態でした。
モノを手放していくうちに、その変な鎧からも自由になっていきました。
一つ手放すごとに固定観念から解放されていくような軽やかな気持ち。
「自由で身軽」このブログのテーマそのものです。
とはいえ、ミニマルは今も現在進行形で、これからもずっと続くのかもしれません。
まだまだ減らしたいものはたくさんあり、収納も機能性も色々工夫していきたいのですが、既に義務ではなく楽しみに変わっています。
自分に何も欠けていないと知ったとき、
ー 老子
世界はあなたとひとつになる。
今週はいよいよ待ちに待った箱根旅行です。
一泊二日の短い時間ではありますが、「お母さん」からも「妻」からも「会社員」からも解放された「私」の時間。
素敵な宿を予約したのでそちらでの滞在レポートは後日♡